たまめ的生活記録

日々で思ったこととか、技術的なこととか。

大学院に入って三ヶ月で休学することにした話

お久しぶりです。前回の記事でちょろっと書きましたが、大学院を休学することにしました。
このことについて自分なりに詳しく書いてみようかなと思います。これから半年の休学生活をちゃんと意味のあるものにするために、何よりもまずこうなった原因と現状について整理しておきます。

個人的に整理したいだけなので大学がどうこうとか言うつもりはまったくありません。

現状

まず今これを書いている時点での自分の状況を書きます。
実は、まだ休学願そのものは出していません。休学願を出すためには諸々の印鑑が必要で、先日教授の印鑑をもらいました。そこで色々なお話(というよりも説教)をして(受け)、少し心が参っています。その中で休学した未来に対しての不安が大きくなりました。これを書くことは今の自分を落ち着かせる意味もあります。

だからこれは自分のために書いている面が強いです。
突発的に書き始めたのでなかなか伝わりづらいかもしれません。

研究室に入る前

なぜ大学院に入ることにしたのか

そもそもなぜ自分は大学院に入ろうと思ったのか。
答えは至極単純で、「何も考えていなかったから」というのが一番です。
次点で「修士のほうが給料がいいから」。

自分はもともと高専から大学へ編入学しているのだけど、その理由も「高専卒より大卒のほうが給料いいから」というものでした。
高専に入学した当時は卒業したら就職するつもりでしたが、実際高専卒っていうのは待遇面ではなかなか厳しい部分があります。 OB訪問とか、卒業した先輩とかの話を聞いて、大学編入しようと決めました。大学院もその延長で考えてました。

加えて理系だし、大学行くなら院進するのが当たり前だと思ってたんですね。
だから大学院に入った理由は、研究がしたかったわけでもなく「給料いいし就職先延ばしにできるから。何も考えてなかった」です。

研究室配属

自分は高専の頃画像処理を研究していたので、大学でも画像処理系の研究室に入ろうと思っていました。

しかし、自分のいた学科から入ることのできる研究室は一つだけでした。
その次点でもう自分の中の選択肢はなくなっていたわけです。 自分は迷わずその研究室を希望しました。

同じ時期に教授の授業が開講されていたので、授業を受けて人間性を判断することもできましたが、「どうせ選択肢ないんだし」と思って受けませんでした。
先輩から「その研究室はやめたほうがいい」と言われたこともありましたが、「いうて自分なら大丈夫でしょう」などという謎の自信で聞き流していました。

まったく大丈夫じゃなかったのは現状を見れば明らかですね。
そして無事希望通りの研究室に配属されることになりました。

この時点では特に何も考えず、「よしよしうまく入れた」なんて思ってました。
まだ精神的には平和だった頃ですね。

研究室に入った後

研究室の実態(前期)

単位もすべてB3で取り終え、無事B4に進級して研究室に配属になりました。
3月ごろにB4全員が研究室に集められて、教授と面談しながら取り組む研究テーマについて話し合いました。 二週間ほどしたのち、自分たちがやりたいと言った分野に関連する論文を教授が探してくれて、10本ほど渡されました。

別に10本全部読めというわけではなくて、その中でも読みやすく分野の概要が掴めそうな論文を教授が2本ピックアップして、それを読み、前期にあるゼミでその2本についてそれぞれ発表するというもの。この辺は特にブラックという感じはないです。

4月からは大学が始まり、5月からはゼミが始まりました。この辺で違和感を覚え始めます。

研究室に人がいない。

いつ行っても誰もいない。奇跡的にいても一人とか。
一人で静かな研究室にい続けるのも嫌だったし、これなら家でいいじゃんと思うようになり、次第に自分も研究室に行かなくなりました。
ほかのB4も同じように研究室に来なくなりました。

全員が集まるのは週に一回のゼミのときだけ。
ゼミで会っても会派はほぼありませんでした。
そして気づいたら前期が終わり、夏休みに入っていました。

研究室の実態(夏)

夏休みに入ると、研究室のOBと飲む機会がありました。
すごく楽しかったんですが、そのときちょっと衝撃だったのが、
OBの間で「どの精神薬(睡眠薬)が効く」という会話が盛り上がっていたこと。

他に話を聞いていても、研究室生活がひたすら辛かったという人ばかりでした。
鬼ごろしを飲みながら研究してた人や、大学の保健センターから精神安定剤を貰いながら研究を進めていたという人。

そしてその頃、教授から説教の長文メールが送られてきました。
内容としては、「君たちなんのために大学に入ったんですか?」みたいなこと。

自分の精神はまだ平和でしたが、「大変な研究室に入ってしまったのかもしれない」と思い始めました。

友人の死

OBたちと飲んだ数日後、研究室に対して不満と不安が増す中、バイト後にスマホをみると地元の友人からの不在着信がありました。
バイトが終わるのが0時過ぎで、そんな時間に電話をしてくるのは珍しかったので、「たぶん酔ってて俺が帰省してると思って遊びに誘おうとかけてきたんだろう」と思いながら、電話をかけました。

陽気に声をかけてみると、意外にも冷静な友人の声が返ってきました。
「実は、昨日◯◯が亡くなったんよ」
一瞬で思考が止まりました。
理由を聞いても友人も詳しく知らないようで、お通夜とお葬式の日付だけを教えてもらい、電話は切れました。

その後の予定を全部キャンセルして喪服で飛行機に乗って、お通夜とお葬式の両方に出ました。
結局、仕事を苦にした自殺でした。

その数日間で、「俺は死ねない」と思いました。
たくさん感じることはあったんですが、その中でも特に強く感じたことでした。
理屈じゃなく、友達に対する気持ちとかでもなく、ただただ「死ねない」という意識が生まれました。

卒論提出時期

卒業直前

お葬式のあと、そのまま帰省として実家に残ることにしました。
夏休みの大半を実家で過ごし、後期が始まる少し前に大学へ戻ってきました。

そこで待っていたのは、忘れられない日々でした。
M2の先輩たちが卒業に追われて毎日研究室にいるようになりました。
日に日に研究室にいる時間は長くなり、そのうち泊まるようになりました。
特に提出直前は完全に研究室に住んでいるような状態でした。

それに惹かれるようにB4の自分たちも研究室にいる時間が増えました。
しかしそこに会話はほとんどなく、みんなが「卒業できないかもしれない」という不安と戦いながら、ただ同じ空間にいるだけというものでした。

そして先輩たちの在室時間が伸びるのと同時に、教授が研究室に来る時間も増えました。
それだけならいいことですが、問題は先輩や学生に対する説教(というより罵倒)も同時に増えたこと。

毎日のようにM2の先輩たちが「君らは恥だから卒業やめたらいいんじゃないですか」とか「そんな修論出されても受け取らないからやめていいですよ」とかひたすら言われるのを聞きながら同じ空間で研究するのは苦痛でしかたありませんでした。
(M2の修論発表が終わって一番最初に自分たちに言ったのが「君たちは恥をかかせないでくださいね」)

決め手は、M2の修論提出前日に教授がいつものようにM2を叩き、それで一人の心が折れていなくなってしまったことでした。
一人目の脱落者がでて、最終的には四人が卒業を諦めてしまいました(そのうち二人は前期の時点でいなくなっていましたが)。

ちゃんと言っておくと、自分は教授から叩かれたということはそこまでありません。
むしろ研究室の中では優しく接されていた方だと思います。

それでも、周りが罵倒される空間にい続けるのは苦痛でした。
大学に原付で通学する時、「今前のバスと事故れば研究室いかなくていいな」とか毎日考えるようになり、実際に事故を起こそうと思ったときもありました。

そしてその度に「死ねない」となんとか思いとどまり続け、無事卒業までたどり着きました。
けどその時にはもう教授と向き合う気持ちも、研究する気持ちも、なくなっていました。

大学院入学

一度決まってしまったものはやりとげようと、今年の4月から大学院に入学しました。
去年あんなことが起こってしまったのは自分たちがはやく研究を進めなかったから。
研究を進めなかったのは研究室に行かなかったから。

だから研究室に行くようにしよう、研究室の中でみんな関わるようにしようとしました。
けど実際に研究室に行こうとすると、部屋の前で動悸がするんです。
特に教授の靴があると、それを見た瞬間に回れ右をして、30分ほど時間を潰してそれでもあったら諦めて帰宅するような、そんな状況でした。

それでもなんとか研究室に入ることができるようになり、研究しようと論文を読んでいた時。
ふと「ああ、これすごい無駄だな」と思いました。思ってしまいました。

もう自分の人生をあの教授のために、研究のためには使えない。

辞めて就職しようと決めました。

これから

というわけで休学を決めました。
今はやりたいこともみつかったので、それを実現できそうな就職先を探しているところです。
甘えという人もいると思いますし、理解しています。それでも自分はもう限界でした。

突発的に書き始めてまとまってもいないので読みづらかったでしょうが、許してください。
まだ休学後の生活がどうなるのかはわかりませんが、強く生きていこうと思います。